望月珪治(もちづき けいじ)

mochiduki
明治後期・大正・昭和期の海老名町長 高座郡河原口村(海老名市)に生まれる。
1889(明治32)年横浜中学卒業 29歳で海老名村助役に就任した。1914(大正3)年から1920年まで海老名村長として役場を新築 大正末期ころ現在の相模線・相鉄線・小田急線の誘致に尽力した。
1928(昭和3)年から1946年まで連続海老名町長となる。この間、県町村会長、群農会長に推され、1930年8月近郷7か町村を結合して相模川左岸普通水利組合を設立し、かんがい用排水改良事業を完成させた。
1941年11月県の相模川河水統制事業に関連し、海老名耕地整理組合結成し、組合長となり、相模湖底に沈む勝瀬からの移住に努力した。
1956年5月レリーフ入りの顕彰碑が建立された。1969年(昭和44)年6月27日没。
墓所は海老名市河原口安養院。『海老名町教育委員会『郷土の資料』